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執筆者の写真新谷 健太

①2024年能登半島地震での活動記録、始めます。

更新日:2024年5月5日

 いつも応援ありがとうございます。一般社団法人 仮( )-karikakko-代表理事の新谷です。活動義援金でご応援いただいたみなさま、誠にありがとうございます。ご心配のお声をいただいてのお返事に、不躾なお願いをしまして申し訳ないと思いながら、大変ありがたく活用させていただいております。おかげさまで現地での活動を精力的に行えており、今のところ無事に生きております。改めて、この場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございます。


 みなさまからいただいた義援金がどのように使われ、どのような活動を日々送っているのかをちゃんとご報告したいと思い、ブログを立ち上げました。基本的には新谷が更新しておりますが、相方の楓の情報もお届けできればと思います。

なるべくリアルタイムで更新出来ればと思うのですが、日々変わる状況と次々と現れるやらなければいけない事に対応しており、少しまとまった時間が取れた際に更新したいと思いますので、ご容赦ください。よりリアルタイムな情報はメンバー個人のSNSなどからご参照いただけますと幸いです。


 改めまして、この度の震災で被害を受けた皆様、心よりお見舞い申し上げます。復興に向けて我々も尽力して参ります。この困難を一緒に乗り越えられたらと思います。最後まで、寄り添い続けたいと考えております。


〈1/19 珠洲で合流した避難所での様子〉


 2月1日現在まで、とりあえず生きることに必死で、誰かを助ける事に必死で、日々情報をかき集め、何ができるのか考え続け、目の前のやれることに追われて駆け抜けてきました。それは、非現実的すぎる現実から目を逸らすためだったのかも知れず...。

今はほんの少し落ち着きまして、冷静さを取り戻しています。結果、先行きの見えなさに少し絶望したり、向き合わなければいけない事に少し向き合い始めたりしています。それでもやっていかなければいけないことがあって、受け止めきれないこともあって...。

と、分裂していく心と体のバランスをなんとか保つためにも、このような形で記録に残して伝えていくことで、自分達の心の整理を促したいな、と。そして、応援してくれる人達がいること、見守ってくれてる人がいることを、改めて再認識したいと思い、このような場を設けました。

本当は、お一人お一人にちゃんとお会いして、またはLINEや電話などを通じて、ちゃんとお話しして、苦しい話も笑い話もしたいところなのですが、お許しいただければと思います。

もう少し落ち着いた頃、珠洲市が復興に向かう頃に、ゆっくりとみなさんの顔を見に行きたいと思います。その時まで、我々の幸運をお祈りいただけますと幸いです。


今回は、1月9日から始まる活動の前に、発災〜1月5日の二次避難までの主な状況変化や心境の変化などをなるべく簡潔な日記のような形式で書き留めてみます。少し長くなりますが、お時間ある際に...。



ーーーーーー 2024年1月1日 ーーーーーーー

 私は珠洲市の自宅でパートナーと、楓は帰省していた奥さんの実家で家族3人とご両親と、それぞれの元日を過ごしていた。最初の震度5強の地震で連絡を取り合い「大丈夫かい?」「ビビったけど大丈夫」とLINEで軽いやりとりをした数分後の出来事。

体感したことの無い衝撃と、倒れる戸棚、崩れ落ちてくる壁、ガラスの割れる音に身動きができず、体感5分ほど屈んでやり過ごしていた。大きな食器棚が顔元をかすめ、メガネが下敷きになった。揺れが収まり、部屋が静まり返る。視界不良の中、ゆっくり顔を上げる。砂ぼこりが一面に舞い、崩れた壁の隙間から、無数の光が差し込んでキラキラとしている。まったく状況が把握できず、なんとも間抜けに「おーい、猫は大丈夫かー」「買ってきたワイン割れちゃったかなぁ」などと口にしていた。ふとキッチンの外に目を向けると、見えるはずのない、川を挟んだ隣の家の屋根がこちらを向いていた。「あ、これ、やばい。」と、思い、一先ずパートナーと外に出る。鳴り止まないLINEの通知の中、画面に見えた楓の文言「とにかく逃げてくれ」で我に帰り、鳥肌が背筋を駆け上っていく。防災無線が鳴り響く。パートナーと近くの小学校に車を走らせた。飛び出たマンホールをギリギリで躱すと、凄まじいスピードで対向車が横をかすめていく。



小学校に着くと区長さんがドアのガラスを蹴破り、「登ってー」と案内する。泣き叫ぶ子供達と、動揺している大人達10数人と共に、小学校の階段を登った。とりあえず最上階の教室に入り、窓から茫然と街を見下ろす。通信環境が安定せず、情報が得られないまま、ただただ、茫然と。とりあえず水を運んだり、毛布を運んだり。自分が出来そうな事をしていたが、頭は真っ白。収まらない余震と携帯のアラートの音に毎度震えながら、黙々と出来ることを探す。

 夜になる。小学校の電気は付かず、暖房も無い。おもむろに校舎の前で焚き火が始まっていた。用意していた防災グッズを持つ暇も無く、手ぶらで来ていた我々は、一先ず車で暖を取りながら、過ごすことに。珠洲市内の仲間達の安全も確認できたところでようやく状況を飲み込め、パートナーと「一緒にいて良かった」と、お互い抱きしめ合い、「楓達が帰省していて良かった」と、心底安堵した。飼っている猫達の心配をしつつ、市街地で避難している仲間達と合流する算段を考えながら眠りにつくことに。車の窓の先は、街の明かりがすべて消えていて、寒気がするほど綺麗な満天の星空が広がっていた。


ーーーーーー 1月2日 ーーーーーー



〈自宅周辺の様子と保護できた猫達〉


 夜が明けて、自宅の様子を見に行くことにした。変わり果てた街の姿と世紀末のような道路状況に言葉も出ず、ひたすら細心の注意を払って移動する。

家の周囲が水に浸っていたので途中で車を停めて、徒歩で家まで移動することにした。

ちゃぷちゃぷと、いつも車で通っていた道を歩いたその時「あぁ、もうこの家では暮らせないのか」と、静かに悟る。

この瞬間も地震や津波が来るかもしれない、お家が潰れてくるかもしれない、電柱が倒れてくるかもしれない。毎秒、死の恐怖に晒されながら、最低限の荷物を家から出す。そんな最中に猫達が戻ってきくる。2人で歓喜し、急いで軽トラに詰め込む。見つけられなかった1匹に後ろ髪を引かれながら、すぐさまお家を後にする。思い出の詰まったお家に別れを告げたり、感傷に浸る暇も無く。


小学校の避難所に戻ると、市街地のみんながいる避難所に向かうための通れるルートを仲間達から聞く。不安ばかりが募るが、移動することに。



〈地元の業者さんがすごいスピードで舗装〉


 ひび割れた道と、倒壊している家屋の合間を縫って走る。変貌した景色に悲しすぎて涙も出ない。激しい絶望感に苛まれる。知っている人の民家が潰れているのが目に入る。祭で賑わっていたあの道が...。足の震えが止まらなかった。そんな中、業者さんが道を応急的に舗装していたので一度停止して待つ。手早く作業を済ませると軽く手を上げ挨拶し、大急ぎで私の車の隣を抜けていく。すれ違う運転手さんの哀しげな表情と真っ直ぐな眼差しが胸に刺さった。その瞬間「みんな苦しいけど出来ることをやっているんだ。自分にも出来ることは無いだろうか」と、スイッチが入ったように思う。



〈仲間達と合流した避難所:飯田高校〉


 仲間達は主に、所属しているNPO法人ガクソーの人達数名と、定期的に訪れてくれて一緒に年越しパーティーをした市外の友人数名。

合流した瞬間、ひとしきり抱き合い、生きてることに喜びあい、情報交換し、早速ジョークを飛ばし合ったりして。良いコミュニティだなと、思わず口に出た。この仲間達だから、先行きの見えない不安の中でも避難所生活が出来たのだと、今だから思う。

 帰省していた他のメンバーの数人は金沢まで駆けつけてくれて、いつでも来れる準備をしながら情報収集してくれていた。メンバーとコミュニケーションを取りながら、何をすべきか、何が出来るのかを考え続ける1日。避難所をぐるりと回ると、知人達の顔を見るたびに、お互いの生存を称える。様々な人と、様々な情報交換をしている内に、夜になる。


ーーーー 1月3日 ーーーー


〈おせち作りのために残っていた食材をみんなで食べる〉


 眠れたのか眠れていないのかわからないまま目が覚めて、みんなで朝ごはん。各々物資を集めたり、暖房器具を集めたり、親族や関係者と連絡したり。

幸か不幸か、お正月に備えた豪華な食材があり、それをひとしきり賞味期限の早いものから食べていく。

お昼が過ぎ、心配している珠洲市外のメンバー含め、ひとまず、みんなとオンラインで話し合う。それぞれの状況や心境などを共有した。顔が見れるだけでホッとする。

ここにいた人、ここにいなかった人、被災に濃度などなく、各々の苦しみと悲しみがあって、それらを尊重しながら共有し合い、ジョークを飛ばしながら次のやることについて話し合えた。本当に素晴らしいコミュニティだなと痛感する。まず、珠洲の人は生きていくこと、どうやって二次避難をするかを考えることに。ワタシは金沢での関係者をひとしきり当たり、みんなが一度集まれる場所を整備する。市外メンバーで交通状況を情報収集/確認して、随時整理しながら出発のタイミングを見定める。



 仮説トイレが来てみんなで運んだ。ワタシは間に合わなくて、ちょっと前に自然に還した。物心ついてからは初めての経験。

夕方になり、市内のスーパー「ゲンキー」が営業再開したので、物資を集めに行く。その他、特にやれることがなくなり、驚くほど穏やかな時間が流れる。子供達と遊んだり、動物と触れ合ったり、お昼寝をしたり。こんな状況でも、ゆるやかに楽しみながら過ごせる空気を共有できる仲間と、日々過ごしていたんだなと、少ししんみりしながら。


ーーーー 1月4日 ーーーー



 朝からパンと水の配給が行われていた。日々続いていた余震が少し落ち着き、大事な荷物を取りに行ったり、街の様子を見に行ったりすることに。慣れ親しんだ街の姿に、もう悲しむ心も無くなり、静かな虚無が満たしていくのを感じる。崩れた家を見るたびに、心臓の奥がギュッと締め付けられる。ゲストハウス仮( )-karikakko-には津波が押し寄せ、膝下まで浸ってしまっている様子。中は泥だらけ。

毎日のようにお昼ごはんを食べに行っていた定食屋「道づれ」のあるスーパー「シーサイド」は、外観だけで中の状況が深刻すぎることが想像できる。

この町のみんなは、生きているのだろうか。呉服屋のおっちゃんは、気さくな定員さんは、本屋の兄ちゃんは...。今、まさに、助けなければいけない誰かがいるのかもしれないけれど、自分の無力さを痛感することしかできない。「今は、自分が生き延びることに専念しなければならない」と、言い聞かせながら、「この先、生き続けて、出来る事なんてあるのだろうか」と、良からぬ想像を振り払う。


 その後数名で、去年からお手伝いをしていた銭湯あみだ湯の様子を見に行く。どうやら電気が復旧し、設備や建物に大きな損傷がない事を確認する。地下水が溜まっている事を確認し、避難所のトイレの水にしてもらうように連絡する。


 避難所に戻り、金沢から珠洲に来たチームと情報交換をして、金沢へ向かう算段を整える。

そのチームが運んでくれたガソリン携行缶から車に補給したり、荷物をまとめたり、明日の早朝出発に向けて各々準備を整えた。



 夜になる。自宅にあったワタシの誕生日に母が送ってくれて、冷凍していたすき焼き用の和牛を、みんなで食べる。さすがに避難所で和牛を焼くのは憚れるかと思い、茹でることにしたのだが、物資が足りていない人や苦しんでいる人がいるのかもと想像すると、複雑な感情になる。ただ、子ども達は美味しそうに食べている。みんなも少し、心が和らいだ気がする。今日は遅れてきたお正月として楽しむことに。

 廊下で酒盛りをしている街の人達に注意の校内放送が流れる。「避難所である自覚」なる文言が響き渡る。みんなストレスを抱え、校長先生や避難所をまとめる市役所の人にもピリピリとした空気が流れているのを感じる。

知り合いの市役所の人と情報交換をすると、役所も何が何だか混乱状態とのこと。災害本部がやっと立ち上がるようだが、みんな何から手をつけて良いのか半分放心状態で、目の前に転がってくるやる事にひたすら駆け抜けている様子。「何もこんな日にとも思うけど、お正月だから物資もあったし不幸中の幸いかもしれない」と、口々に言っていた。みんな少しずつこの現実を飲み込み始めているようだ。ワタシも含めて。


 寝る前に車の段取りと、荷物の整理、道の最終確認を行う。共に過ごしていた仲間の2人が珠洲に残ることを決断した。避難所のサポートと、明日から来る、子どもの居場所支援を行うNPO法人カタリバさんとの協働、あみだ湯が再開可能か判断するために。自分の中でも揺れ惑う判断と決断。自分の意思とはなんなのだろうか。また珠洲に戻って来れるのだろうか。何が出来るのだろうか。ただ、命の危険がすぐそこにあって、離れなければいけない。心と体が綺麗に分離していく。こんな状況に自分は何を応答するのだろうか。

眠れない夜を、ティム・インゴルドの「応答、しつづけよ」を読んで過ごす。


<中略>分類線に沿って切り分けるものではなく、事物が形成するヒダや折り目に沿って、絶えず差異化されていく世界の中に自分達が投げ込まれている。あらゆるモノがその差異化の物語そのものである。


ーーーー 1月5日 ーーーー



 早朝5:00に珠洲を発つ。残る仲間たちとアツい抱擁をして、お互いの安全を祈る。心底、祈る。アナログの地図を元に注意点をおさらいして、3台の車で向かった。


かなり険しい道中。激しい地割れと土砂崩れを見るたびに息を呑み、ウネウネと波打つ道をゆっくりと最新の注意を払って進む。

 7:00。能登空港に着き、休憩。久しぶりに水洗のトイレで用を足す。通行止めの里山街道を迂回するように海沿いの道を「のと鉄道」の線路と並走するように走り、穏やかな穴水湾に心を安らげる。穴水まで来ると景色がまた変わり、チラチラと倒壊している家を見かける程度。比べるべきではないが、珠洲の被害の甚大さが伺える。


9:30。七尾市中島町を抜けた先にセブンイレブンを見つけ、みんなで吸い込まれていく。トイレは使えないが、オープンしているコンビニに感激。


11:00。里山街道にようやく乗ることができ、高松PAエリアで休憩。珠洲市の知人にたまたま出会い情報交換など。珪藻土産業に従事してる方で、工場も採掘場も絶望的だと。そんな話しをしている隣を、スカートの女性が通り過ぎていく。朗らかな笑顔のカップルが買い物袋を下げている。道が徐々に平常になっていくグラデーションと共に、街や人も当たり前の日常の姿に変わっていく。どちらが現実でどちらが非現実なのか、頭が追いつかない。数キロ先には信じがたい絶望に満ち溢れてる世界など、誰も想像できないのだろう。



13:00。金沢のアーティストランスペース「芸宿」に到着。楓が泣きながら抱きしめてきた。現地に居ない人にとっても、辛く長い時間だったんだなと、力の入り方で伝わる。仲間達とアツい抱擁を繰り返す。様々な話しを、取り留めもなく、誰と誰ともなく、話し続ける。避難所でのこと、テレビでの情報、現地の状況、周りの家族のことなど。数キロ先の絶望の、その反対側には、ただだだ安全な空間があり、いつものような仲間達との時間が流れていることに、一番の救いを感じた。


14:00。温泉に入りに行く。

15:00。餃子の王将に行く。


ありえないほどの日常。ありえないほどの現実。何事もなく過ごしている周りの人。普通に水が使えて、普通にトイレができて、普通に温かいご飯を定員さんが持って来てくれる。

激しいギャップに卒倒しそうになる。

命の危険のない道。機能している信号。柔らかな笑い声。煌々と光るショーウィンドウ。ニューイヤーセールの看板。浮き足立ってる家族やカップル達の姿。

「あぁ、そっか。世の中は『新年あけましておめでとう』ってやつなのか」

他人事のような現実を受け入れられない。どうやらそれは、お互い様のようだ。




17:00。芸宿に関わるみんなが、鍋を作ってくれた。知り合いの人達が聞きつけて顔を出してくれる。温かい空気と労りの言葉に、ひたすら励まされ、救われ、確かな「コミュニティ」の意義を感じた。こんな事態になってと、すっと集まれて泊まれて、話せる状況が出来ている事に、純粋な感謝の気持ちだけが込み上げて、ただただ「ありがとう」と、思い、言い続ける。

 ひとしきり話して状況共有して、会合はお開きになり、久しぶりにそれぞれが個室で、暖かくてふっくらしたベットに着く。快適すぎて、寝つけない。溜まり続けるLINEに返信し続ける。蛇口を捻ると水が出て、好きなだけ歯が磨ける。夜風にあたってみると、街が明るくて星が見えなかった。明日以降、金沢での拠点を整備しながら、どうやって珠洲と関わるのか、何が出来るのか、ひたすら考えを巡らせる。

答えの出ない問いの中で、いくつかキッカケや思い当たる節を思いだしているうちに、自然と眠りについた。


ーーーー 1月6日〜8日 ーーーー


 次の日から、思い当たる関係に片っ端から連絡したり、珠洲の仲間達とも情報共有したり、行政や民間関係者の動きを確認したり、電話してzoomしてLINEしてsnsを開いてなど、ひたすら駆け巡る。

夜はお世話になってた居酒屋や、美大の先生のお家にヨバレたり、関係者各位から支援物資をいただいたりなど、人に触れ合う3日間。


 そんな中で複雑な感情が渦巻く。現地にいた人いなかった人。市外に身寄りがない人ある人。凄まじい勢いで事を運ぶ一部上場企業の社長。現場で奔走している若い人達。この機を利用しようとする人達。家族を失ってしまった知り合いの話も聞いて、感情と思考が追いつかない。

だけど、1番強く思ったのは「生きている事」に感謝するなんて当たり前で綺麗事のような言葉、普段は意識しないが、心の底から「自分が生きてきた事」に対しては感謝出来るなと。そこに関わってくれた人には、本当にありがとう、と心底思いまして。綺麗事ではなくて、本当の意味で。もし、自分が致命的な被害を受けていたら、仲間の誰かを失っていたら。想像するだけでも今でも背筋が凍る。自分なりに誠実にみなさんと触れ合ってきて、応答してくれる人がいなかったら。珠洲の仲間達も、こんな風にはいられなかったし、珠洲から出る瞬間、路頭に迷い、安らげる場は無かったかもしれない。隔絶された避難所生活で、みんなからの連絡が無かったら、絶望と不安に押し潰されていたかと思います。そして、事務所も仕事も失っている現状で、不躾なお願いに応えてくださり、義援金をいただいたおかげで、復興活動へと向かう勇気が湧きました。本当に、改めてみなさんに感謝です。ありがとうございます。

 だからこそ、ちゃんと、これからも生きていかなきゃと、強く思いました。みんなで無事に、命第一で。

揺れる思いと、苦しい決断の中、1/9以降の珠洲での活動を決めるに至りました。



ーーーー おわりに ーーーー


 誰かを失っていてもおかしくない状況で、誰かを失っていたらこんな風には、たぶんいられなかった。書き始めて2週間経った現在2/14、バタバタと駆け抜けていく日々の中で、自分も含めた命の大切さを痛感して、珠洲市の命のために邁進しています。皆様の支援のおかげで、今、活動出来ています。

その思いや活動をお伝えしたいと思い、このような形で恐縮ですが報告を続けたいと思います。

引き続き応援よろしくお願いします。安全第一、命第一で。みなさんもどうぞご自愛ください。


一般社団法人仮( )-karikakko-

新谷 健太

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